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2006/01/15

地元のウォーキング

  昨日の雨も朝には上がった、新聞を取りに外へ出てみると今年で一番気温が高そうだ。午前中は昨日からのクラシック音楽のCDの整理をした。通勤時にクラッシク音楽を聴きたくなりデジタルオーディオを買ったのだが、目当てのCDがなかなか探し出せないことからデータファイルの見直をした。

 今日は午後からのウォーキングとなったことから、地元を訪ねることとした。先ず、西武線heiwanomori の沼袋方面へ歩く、平和の森公園の梅の梢には芽が膨らんで来た、池の氷も今日は解けている、なにより暖かさに誘われて多くの親子が広場で遊んでいる。
 貞治元年の開創と言われている真言宗の「禅定寺」を先ず訪ね、その後、「明治寺」を訪ねてみる。このお寺は栄照法尼が、明治天皇の病気回復を祈願して建立されたものとのこと。境内には寄進があいついだ観音像が176体あり、色々な石や樹木と組み合わせして配置しており、一見の価値はある所である。 meijidera
 

 北上し新青梅街道に出て「区立歴史民俗館」を訪ねてみるが、本日は休館日であった。
 更に北上し江古田氷川神社へ向かう、新年も半月過ぎたことから境内はtokugawa 閑散としている。隣の東福寺に向かうと「江古田通り」に出た、昔、この界隈に三波春夫さんの邸宅が有ったことから俗に「ちゃんちき通り」と呼ばれていたことを思い出した。
 東福寺は徳川吉宗八代将軍が鷹狩りの折、御膳所として食事と休息をしたところであったとのこと。鷹狩りは五代将軍綱吉により廃止されたが、吉宗が復活させたものとのこと。境内には雪除けのしたで「牡丹」の花が日差しを浴びていた、その姿は我々と同じくじっと春を待つ姿のようであった。

 この後は結婚した時から約10年間過ごした「西落合」方面へ向かってみる、ekodakosennjyo 新青梅街道沿いに「江古田古戦場跡」の碑があるが、江古田公園として整備されていた。ここら一帯で太田道灌と豊島泰経が文明九年(1477年)に激戦をした。この戦を境に、武蔵野を開拓してきた豊島氏に変わり太田氏が支配を確立した。
 tetugaku 哲学堂公園へ向かってみる、西落合に住んでいたころは散歩・少年野球・花見などで週に1回は来たところである、その頃は手入れも余りされず自然を感じたが今はよく手入れされた公園になった。次に「中井御霊神社」・「西落合少年野球場」へと廻ってみる、チーム数は我々が手伝いをしていた頃の半分以下のなってしまったことを聞き及んだが、子供たちは精一杯野球を楽しんでいた。

 上高田へ向けて南下する、ochiba 住宅街へ入っていくと画像のようなシーンを今でも見ることが出来る、敷地内を覗くと落葉で焼き芋を作っているのではないかと思えてくる。このお宅の隣には「たきび」の歌発祥地の案内がある、それによると作詞家の巽  聖歌は昭和5年頃から十数年ここら辺りに住み、朝な夕なの散歩の中でこの歌を作ったようだ。

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